ひっくり返る

イヤイヤ期はひっくり返り

2歳くらいから自己主張が始まるのですが、

兄は思い通りにならないとひっくり返って大泣きしました。

脚の力が強くて、蹴られるとかなりの衝撃です。

道路(歩道)でも、お店でも、電車内でも、どこでもひっくり返り大泣きするのです。

今となっては、ひっくり返ったり外で大泣きする子供がいない私は、

外で子供の泣き声がすると振り向きます。

どうしたのかな、と思うだけですが。

見られることが辛い

大泣きしている子と対峙している時、ただ振り返ってこちらを見る人の目が辛くて辛くて。

何も感じていないかもしれないし、

ただ「どうしたんだろう」と思っているだけかもしれないのに、

みんな私を見ている、ひどい母親だと思っている、

そんな風に感じていました。

子どもが泣き喚くことより、見られることが嫌

兄がひっくり返って大泣きすることは、

言葉の発達が少し遅いから、表現なんだということは理解していました。

そりゃ口で言えなければ全身を使って表現しないと、

兄は伝えることができないから。

だからそれは構わない。

ただ私は、周囲から、子どもがかわいそうと思われるとか、

子どものことを対処できないんだとか、

甘やかしていると思われているだろうと想像して、辛かったです。

声をかけてくれる人に追い討ちをかけられる

ひっくり返って泣き喚けば、その場に20分くらい留まることもあります。

私の母世代のかたで、たまに声をかけてくれることもありました。

言葉は必ず、「かわいそうね〜」「嫌なことがあったのかな〜」とかそんな感じで。

かわいそう、というのが突き刺さりました。

私のせいで、私の子どもはかわいそうなんだ、そう受け止めてしまいます。

目の前で、私の知恵や声かけでは収まらない子どもがひっくりかえって大泣きして、

周囲の人から視線を向けられて、

あの手この手で声かけして、そもそも疲れ切っているところに、

子どもへの同情。。。

子どもに声をかけることもやめて、隣で座り込んだこともありました。

ただ一度だけ、「ママも頑張っているわね」と声をかけられた時は、

なんだか報われた気がしたことを覚えています。

受け止めることを理解していなかった

私が救われたのは、私の頑張りを認められたような気がした時。

結局、子どもも同じ。

「疲れたよねー」とか「おなかすいたよね」とか、

想像できる苦痛を代弁してあげれば、

ママはわかってくれている、という気持ちになったのに。

子育てを学びたかった

日々成長する子どもを育てていると、

生きているだけで精一杯でした。

子どもの発達や心の成長を知っていれば、論理的に理解していれば、

感情をぶつけてしまうこともなかっただろうと思います。

育児本を読んでも、変に焦ってしまうこともあったし、

『普通』や『標準』ばかり知ることになって、

焦らないために育児本を読むことを辞めました。

子育ては、自分の親を参考にするけど時代も違うし、

そもそも自分の親だからって、全てを見習いたいと思うわけでもないし。

子育てを学びたいと思ったことはありませんか。

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